浄土式庭園を有する「円成寺」Enjoji temple
紅葉が始まった忍辱山(にんにくせん)「 円成寺」を訪れました。 聖武天皇の勅願で、唐僧の虚滝が創建したと伝わっており、浄土式庭園のあるお寺です。
BGM : Suzukaze Noteより「透明な激情」by Ryota
毘沙門天王の総本山「朝護孫子寺」
「信貴山寺」とも称され、虎のお寺として有名な「朝護孫子寺」を訪れました。 聖徳太子が物部守屋との戦いの折、この地で戦勝の祈願をすると毘沙門天王が出現し、その御加護でもって勝利したことから、ここに仏堂を建立したのが始まりとされています。 毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を授かったのが寅年、寅日、寅の刻だったことから寅が信仰されるようになったそうです。
BGM : DOVA-SYNDROMEより「Cake by the Ocean」by ISSEI AIR https://dova-s.jp
白蛇の棲む神社「大神神社」(三輪明神 )
日本最古の神社と云われる「大神神社」には、白蛇が棲むと言い伝えられていま す。大神神社の祭神・大物主大神の化身が白蛇とされ、単なる言い伝えではなく運が良ければ実際に白い蛇を見ることができると云われていて、ここでは蛇は「巳さん」と親しみを込めて呼ばれています。 そのような神秘的な大神神社を訪ねました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「神々の宿る場所」 https://amachamusic.chagasi.com
足利義満創建の「相国寺」Shokokuji Temple
相国寺は、室町幕府三代将軍・足利義満が「花の御所」と呼ばれた邸宅の東側に建てたお寺です。塔頭寺院として金閣寺や銀閣寺などがある京都五山の第2位となる名刹です。 開山は夢窓疎石で、庭園が美しいお寺です。秋の特別公開の「開山堂庭園」も拝観することができました。
BGM : ノスタルジアより「色あせた夕暮れ」http://nostalgiamusic.info/
寺町阿弥陀寺(織田信長公本廟)Amida Temple
本能寺の変の折、信長とゆかりの深い清玉上人は、織田信長が自害したあと本能寺に駆け付け、信長公の遺骸を持ち帰り埋葬したと云われ、のちに移された「寺町・阿弥陀寺」を訪れました。
BGM : 音楽の卵より「睡眠学習」http://ontama-m.com
百人一首聞き流し
元NHKアナウンサー・加賀美幸子さんのゆったりとした朗読を、波の音に乗せて睡眠を誘う動画です。
https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
コスモス寺「般若寺」Hannya Temple
「般若寺」は、梅雨のアジサイ、初夏のヤマブキ、秋のコスモスと「花の寺」として知られています。そのコスモスの揺れる・法性山「般若寺」を訪ねました。
BGM : こばっと・ミュージックより「Home Sweet Home」
https://foc.kobat-music.com
おふさ観音(提灯祭り)Ofusa Kannon
提灯は暗闇を照らすことから、魔除けや厄除けとして用いられています。 おふさ観音の境内には、1000個以上の様々な提灯が飾られており、世の中を明るく照らしたいとの願いがあるようです。 その提灯祭りが開催されている「おふさ観音」を訪れました。
BGM : こばっと・ミュージックより「陽だまりの道」
https://foc.kobat-music.com
安産のお寺「中山寺」Nakayamagera temple
安産のお寺として知られ、豊臣秀吉がお参りして秀頼を授かったとして有名です。 聖徳太子が創建した日本最初の観音霊場と伝えられ、西国三十三所24番札所となっている紫雲山・中山寺を訪ねました。
BGM : VSQ plus より https://vsq.co.jp/plus/sound/category/music/
日本の始まりの地「明日香村」Asuka Village
村全体が歴史的風土保存地区になっている明日香村を訪ねました。 まさに日本の原風景が残っており、古代にタイムスリップしたような感覚を憶える場所です。
BGM : BGMerより「手をとりあって」 https://bgmer.net
新撰組結成の地「壬生寺」
新撰組ゆかりの寺で、壬生狂言でも有名な「壬生寺」を訪ねました。 壬生寺の境内は、新撰 組が大砲の訓練に使用していたとか、沖田総司が子供達を集めて遊んでいたなど、新撰組にまつわるエピソードが数多く残っているお寺です。
BGM : BGMerより「出陣」https://bgmer.net/
補陀洛寺(小町寺)Fudarakuji Temple
通称小町寺と呼ばれる「補陀洛寺」は、 絶世の美女として知られる女流歌人・小野小町の終焉の地とされています。 謎が多い小町は晩年、日本各地を放浪したのち補陀洛寺に辿り着いて亡くなったとされています。小町伝説は数多く残っていますが、その生涯を「補陀洛寺」で探ってみました。
BGM : 魔王魂よりフリーBGMヒーリング01 https://maou.audio/
壷坂寺(南法華寺) Tsubosaka Temple
通称小町寺と呼ばれる「補陀洛寺」は、 絶世の美女として知られる女流歌人・小野小町の終焉の地とされています。 謎が多い小町は晩年、日本各地を放浪したのち補陀洛寺に辿り着いて亡くなったとされています。小町伝説は数多く残っていますが、その生涯を「補陀洛寺」で探ってみました。
BGM : 魔王魂よりフリーBGMヒーリング01 https://maou.audio/
女人高野「室生寺」 Murouji Temple
高野山が女人禁制であったことから、女性の参拝が許されていた室生寺は「女人高野」と呼ばれ、親しまれていた。 「室生寺は」春のシャクナゲや桜、秋の紅葉が美しいことで人気ですが、夏でも充分美しい景色を見せてくれます。
BGM : ノスタルジアより「月の都」http://nostalgiamusic.info/
歌枕を訪ねて(27)「伊吹山」
小倉百人一首第五十一番の歌枕「伊吹山」の麓を訪ねました。 この歌枕・伊吹山は、滋賀県と栃木県の二説あるようですが、どちらであるかは定かではありません。
BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」 https://amachamusic.chagasi.com
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
清少納言が晩年過ごした地「今熊野観音寺」Imakumano Kannonji Temple
見出し h6
「今熊野観音寺」の境内付近に清少納言の父の邸宅があり、そこで生まれ育ったと伝わる清少納言を偲んで訪れてみました。
BGM : フリーBGM DOVA-SYNDROMEより「君にまた会えたら」byのる ttps://dova-s.jp
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより
元NHKアナウンサー加賀美幸子さん https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
葦のまろ屋がある「梅宮大社」Umenomiya Shrine
京都「梅宮大社」のある梅津の地域は、平安貴族の別荘が多く造られた場所で、大納言経信(源経信)がこの地を訪れた折、百人一首第七十一番歌を詠んだとされています。その頃の面影を求めて、季節は異なるが訪れてみました。
BGM : フリーBGM H/MIX GALLERYより http://www.hmix.net/
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより
元NHKアナウンサー加賀美幸子さん
https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
光明皇后創建の「法華寺」Hokkeji Temple
「法華寺」は、聖武天皇の后・光明皇后により、父・藤原不比等の邸宅跡に総国分尼寺として建立されました。平安遷都の後衰退したが、豊臣秀頼と淀君によって慶長6(1601)年に本堂・南門・鐘楼が再建されました。
BGM : 音楽の卵より「隠れ里」 ontama-m.com/index.html
光孝天皇勅願の「仁和寺」 Ninnaji Temple
百人一首第十五番歌を詠んだ光孝天皇が勅願して創建された「仁和寺」です。「仁和の帝」とも称され、老いてから即位した光孝天皇は、この寺の完成を見ることなく亡くなっています。その後即位した宇多天皇と菅原道真との縁の深さなどを偲ぶことのできる「仁和寺」を訪ねました。
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
BGM : 魔王魂より「ピアノ07」by 森田公一 https://maou.audio
待賢門院璋子の「法金剛院」 Hokongo-in Temple
「蓮の寺」とも云われる「法金剛院」は鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子(藤原璋子)が復興した寺です。 その中宮に仕えた待賢門院堀河は、百人一首・80番歌の作者であり、西行法師などとも親交があったといわれています。その待賢門院堀河の歌碑がある法金剛院の「観蓮会(かんれんえ)」の期間に訪れました。
BGM : こばっと・ミュージックより「過ぎ去りし日々」https://foc.kobat-music.com
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより
元NHKアナウンサー加賀美幸子さん
https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
伊勢姫ゆかりの「伊勢寺」Iseji Temple
恋多き女流歌人・伊勢姫の住居跡に建てられた「伊勢寺」を訪ねました。 また、この近くの古曽部に住居を構え、古曽部入道と称された「能因法師」の墓所や文塚も訪れました。
BGM : こばっと・ミュージックより「遠い約束」 https://foc.kobat-music.com
天武天皇発願の「薬師寺」Yakusuji Temple
薬師寺は、天武天皇が持統天皇の病気平癒を祈って発願された寺ですが、天武天皇は薬師寺の完成を見ることは出来なかった。その後、持統天皇が即位し藤原京に薬師寺が造営され、元明天皇の命による平城京への遷都に伴ない、薬師寺も平城京へと遷りました。 近年、解体大修理を終え、「凍れる音楽」のように美しいと表現された「東塔」は、創建時の建物で唯一現存する建物です。 東西に二基の塔を配し「龍宮造り」とも称される薬師寺式伽藍を訪れてきました。
BGM : BGMerより「想ひ出語り」 https://bgmer.net
花山法皇の巡礼地「紀三井寺」Kimiidera Temple
藤原道長が権勢を誇った頃の花山天皇は、若くして出家し法皇になった。 法皇になってから、西国三十三観音霊場を巡幸され、各寺には花山法皇が詠んだとされる御詠歌が残されている。 「紀三井寺」の名は、今も境内にある三つの井戸が在ることから付けられた。
BGM : 甘茶の音楽工房より http://amachamusic.chagasi.com
在原業平ゆかりの「不退寺(業平寺)」Futaiji Temple
見出し h6
平城天皇の孫にあたり、伊勢物語の主人公・在原業平ゆかりの寺で、「業平寺」とも呼ばれています。 業平自らが刻んだとされる「聖観音菩薩立像」が安置され、百人一首の歌碑や伊勢物語・第88段の歌碑の在る「不退寺」を訪れました。
BGM : SuzukazeNote https://ryota.site/suzukazenote/
清少納言も参詣した「伏見稲荷大社」Fushimi-Inari Taisha
外国人観光客に圧倒的人気のある「伏見稲荷大社」に行ってきました。 清少納言も稲荷山を参詣しますが、その時の出来事が枕草子に記されています。その清少納言に思いを馳せて登ってきました。
BGM : H/MIX GALLERYより「志は死なない」 http://www.hmix.net/
清少納言ゆかりの「泉涌寺」Sennyuji Temple
清少納言の父・清原元輔の邸宅があった東山月輪には、鎌倉時代に泉涌寺が建てられている。その清少納言ゆかりの「御寺・泉涌寺」を訪ねました。 そこには、藤原行成と交わした「百人一首・62番歌」の歌碑が建てられています。
BGM : Suzukaze Noteより「温度」 https://ryota.site/suzukazenote/
水の神様「貴船神社」Kifune Shrine
恋愛歌人の和泉式部も参拝した「貴船神社」を訪れました。 離れてしまった夫の心を取り戻したいと願掛けをして歌を詠むと、「奥山の滝の水が飛び散るほど、深く思いつめない方が良い」という意味の返歌が聞こえたと言う。そして、願いが叶い夫婦円満になったそうです。
BGM : H/MIX GALLERY より「志は死なない」http://www.hmix.net/
冥界への出入り口「六道珍皇寺」
百人一首・第十一番歌を詠った小野篁(参議篁)は、夜な夜な地獄に通い閻魔大王の執務補佐をしていたという伝説があり、その出入り口となる井戸が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にある。 その地獄の入り口と出口の、二つの井戸を見てきました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「最終戦』
歌枕を訪ねて(26)「名古曽の滝」
小倉百人一首第五十五番歌・藤原公任が詠んだ「名古曽の滝跡」を訪ねました。 嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の一角にあり、以前は水も枯れ、僅かな石組みだけの滝跡でしたが、現在は少しの水が流れるように成っており、遣水も整備されていて昔の面影が残っていました。
BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん
https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
紫式部ゆかりの『大原野神社』
桓武天皇の長岡京遷都の折に、奈良の春日大社の祭神を分祀したのが始まりの「大原野神社」は、紫式部も氏神として崇めこの地を愛しており、源氏物語では二十九帖「行幸」の巻で、大原野へと向かう冷泉帝の行列の様子で登場させている。
BGM : 甘茶の音楽工房より「傾きかけた日差し」
平安の雅を伝える「平安神宮」Heian Shrine
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、桓武天皇をご祭神として明治28年に創建されました。 京都三大祭のひとつ「時代祭」が行われることでも知られ、平安の雅を伝える春の「平安神宮」を訪れました。
BGM : DOVA-SYNDROME より「雪去り、里に春は来たる」by のる
道長や実資も参詣した「清水寺」Kiyomizu Temple
藤原道長や赤染衛門・藤原実資、また宮中に仕えた紫式部や清少納言など多くの貴族や歌人たちが参詣した「清水寺」を訪れました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「弥生の空に」
在原業平の隠棲地「十輪寺(業平寺)」
伊勢物語の主人公のモデル・在原業平が晩年に隠棲した「十輪寺」の「なりひら桜」を見てきました。ここには、業平が塩焼きの風流を楽しんだとされる「塩竈の跡」や、業平のお墓とされる小じんまりとした「宝篋印塔」もあり、在原業平を偲ぶことが出来ました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「春へ向かう草花へ」
藤原家隆ゆかりの「四天王寺」
蘇我馬子と物部守屋が争った際に、蘇我氏側の聖徳太子が四天王像を彫ったところ戦いに勝利した。そのお礼として聖徳太子が四天王寺を建立したと伝えられています。 歌人・藤原家隆は役人を辞めたのち出家し、この地に夕陽丘という地名の由来ともなった「夕陽庵(せきようあん」という小さな庵を造り、念仏三昧の日々を送った。 四天王寺の極楽門から見れば、西門は極楽浄土への東門にあたり、鳥居越しに沈む夕陽を拝むという信仰は、日想観(じっそうかん)として今日まで続いています。 BGM :
BGMerより「受け継がれ ゆく心」 http://bgmer.net
藤原定家も参詣した「北野天満宮」
北野天満宮は、菅原道真公をお祀りする天満宮の総本社です。 「北野の天神さん」と言って親しまれ、入試合格や学業の成就、厄除祈願などで多くの人が訪れます。藤原定家も北野天満宮に歌一巻を奉納して、和歌の上達を祈願したという記録が残っているようです。 道真公と言えば、894年に遣唐使の廃止を提案し、その結果、国風文化が生まれるようになりました。道真公は醍醐天皇の時代に右大臣にまでなったが藤原氏から妬まれ、藤原時平の陰謀で太宰府に左遷されました。その時に残した歌が 『東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』有名な「飛梅」の歌です。 それから二年後に太宰府で亡くなります。 ところが道真の死後、京都では天変地異が続き、時平も亡くなり醍醐天皇の皇太子も、その次の皇太子も死亡しました。また、皇居に落雷するなどこの一連の出来事を道真の祟りだとしました。 その怨霊となった道真の恨みを鎮めるために北野天満宮を建立して祀ることになりました。
BGM:BGMerより「受け継がれゆく心」 http://bgmer.net
歌枕を訪ねて(25)「初瀬(長谷寺)」
小倉百人一首第三十五番歌・紀貫之と、第七十四番歌・源俊頼朝臣が詠んだ「初瀬(長谷寺)」を訪ねました。 「貫之の古里の梅」が咲いていることを期待して行ったのですが、残念なことにまだ蕾が少し膨らんだ程度でした。でも、新緑前の木々の隙間から、普段は見えない景色を見ることが出来たのが、多少の救いでした。
BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」
源氏物語散歩「須磨・明石」
紫式部は「中宮の彰子」から「なにか新しい物語を読みたい」との要望を受けたため石山寺に参籠し、都落ちした在原行平をモデルに源氏物語12帖「須磨」、13帖「明石」を書き始めたとされています。その最初に構想を練った「須磨・明石」の源氏物語にゆかりのある地を探ってみました。
BGM : SuzukazeNoteより「朝日が昇る頃に」 https://ryota.site/suzukazenote/
冥界への出入り口「六道珍皇寺」
百人一首・第十一番歌を詠った小野篁(参議篁)は、夜な夜な地獄に通い閻魔大王の執務補佐をしていたという伝説があり、その出入り口となる井戸が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にある。 その地獄の入り口と出口の、二つの井戸を見てきました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「最終戦』
歌枕を訪ねて(26)「名古曽の滝」
小倉百人一首第五十五番歌・藤原公任が詠んだ「名古曽の滝跡」を訪ねました。 嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の一角にあり、以前は水も枯れ、僅かな石組みだけの滝跡でしたが、現在は少しの水が流れるように成っており、遣水も整備されていて昔の面影が残っていました。
BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより
元NHKアナウンサー加賀美幸子さん https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
紫式部ゆかりの『大原野神社』
見出し h6桓武天皇の長岡京遷都の折に、奈良の春日大社の祭神 を分祀したのが始まりの「大原野神社」は、紫式部も氏神として崇めこの地を愛しており、源氏物語では二十九帖「行幸」の巻で、大原野へと向かう冷泉帝の行列の様子で登場させている。
BGM : 甘茶の音楽工房より「傾きかけた日差し」
平安の雅を伝える「平安神宮」
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、桓武天皇をご祭神として明治28年に創建されました。 京都三大祭のひとつ「時代祭」が行われることでも知られ、平安の雅を伝える春の「平安神宮」を訪れました。
BGM : DOVA-SYNDROME より「雪去り、里に春は来 たる」by のる
平安貴族も参詣した「清水寺」
藤原道長や赤染衛門・藤原実資、また宮中に仕えた紫式部や清少納言など多くの貴族や歌人たちが参詣した「清水寺」を訪れました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「弥生の空に」
在原業平の隠棲地「十輪寺(業平寺)」
伊勢物語の主人公のモデル・在原業平が晩年に隠棲した「十輪寺」の「なりひら桜」を見てきました。ここには、業平が塩焼きの風流を楽しんだとされる「塩竈の跡」や、業平のお墓とされる小じんまりとした「宝篋印塔」もあり、在原業平を偲ぶことが出来ました。
BGM : 甘茶の音楽工房より「春へ向かう草花へ」
藤原家隆ゆかりの「四天王寺」
蘇我馬子と物部守屋が争った際に、蘇我氏側の聖徳太子が四天王像を彫ったところ戦いに勝利した。そのお礼として聖徳太子が四天王寺を建立したと伝えられています。 歌人・藤原家隆は役人を辞めたのち出家し、この地に夕陽丘という地名の由来ともなった「夕陽庵(せきようあん」という小さな庵を造り、念仏三昧の日々を送った。 四天王寺の極楽門から見れば、西門は極楽浄土への東門にあたり、鳥居越しに沈む夕陽を拝むという信仰は、日想観(じっそうかん)として今日まで続いています。
BGM : BGMerより「受け継がれゆく心」 http://bgmer.net
藤原定家も参詣した「北野天満宮」
北野天満宮は、菅原道真公をお祀りする天満宮の総本社です。 「北野の天神さん」と言って親しまれ、入試合格や学業の成就、厄除祈願などで多くの人が訪れます。藤原定家も北野天満宮に歌一巻を奉納して、和歌の上達を祈願したという記録が残っているようです。 道真公と言えば、894年に遣唐使の廃止を提案し、その結果、国風文化が生まれるようになりました。道真公は醍醐天皇の時代に右大臣にまでなったが藤原氏から妬まれ、藤原時平の陰謀で太宰府に左遷されました。その時に残した歌が 『東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』有名な「飛梅」の歌です。 それから二年後に太宰府で亡くなります。 ところが道真の死後、京都では天変地異が続き、時平も亡くなり醍醐天皇の皇太子も、その次の皇太子も死亡しました。また、皇居に落雷するなどこの一連の出来事を道真の祟りだとしました。 その怨霊となった道真の恨みを鎮めるために北野天満宮を建立して祀ることになりました。
BGM:BGMerより「受け継がれゆく心」 http://bgmer.net
歌枕を訪ねて(25)「初瀬(長谷寺)」
小倉百人一首第三十五番歌・紀貫之と、第七十四番歌・源俊頼朝臣が詠んだ「初瀬(長谷寺)」を訪ねました。 「貫之の古里の梅」が咲いていることを期待して行ったのですが、残念なことにまだ蕾が少し膨らんだ程度でした。でも、新緑前の木々の隙間から、普段は見えない景色を見ることが出来たのが、多少の救いでした。
BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより
元NHKアナウンサー加賀美幸子さん
https://www.nhk.or.jp/archives/creative/