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源氏物語散歩「須磨・明石」

紫式部は「中宮の彰子」から「なにか新しい物語を読みたい」との要望を受けたため石山寺に参籠し、都落ちした在原行平をモデルに源氏物語12帖「須磨」、13帖「明石」を書き始めたとされています。その最初に構想を練った「須磨・明石」の源氏物語にゆかりのある地を探ってみました。

              BGM : SuzukazeNoteより「朝日が昇る頃に」 https://ryota.site/suzukazenote/

冥界への出入り口「六道珍皇寺」

百人一首・第十一番歌を詠った小野篁(参議篁)は、夜な夜な地獄に通い閻魔大王の執務補佐をしていたという伝説があり、その出入り口となる井戸が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にある。  その地獄の入り口と出口の、二つの井戸を見てきました。

                                                     BGM : 甘茶の音楽工房より「最終戦』

歌枕を訪ねて(26)「名古曽の滝」

小倉百人一首第五十五番歌・藤原公任が詠んだ「名古曽の滝跡」を訪ねました。 嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の一角にあり、以前は水も枯れ、僅かな石組みだけの滝跡でしたが、現在は少しの水が流れるように成っており、遣水も整備されていて昔の面影が残っていました。

BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより          
元NHKアナウンサー加賀美幸子さん          https://www.nhk.or.jp/archives/creative/

紫式部ゆかりの『大原野神社』

見出し h6桓武天皇の長岡京遷都の折に、奈良の春日大社の祭神を分祀したのが始まりの「大原野神社」は、紫式部も氏神として崇めこの地を愛しており、源氏物語では二十九帖「行幸」の巻で、大原野へと向かう冷泉帝の行列の様子で登場させている。

                                      BGM : 甘茶の音楽工房より「傾きかけた日差し」

平安の雅を伝える「平安神宮」

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、桓武天皇をご祭神として明治28年に創建されました。 京都三大祭のひとつ「時代祭」が行われることでも知られ、平安の雅を伝える春の「平安神宮」を訪れました。
                        BGM : DOVA-SYNDROME より「雪去り、里に春は来たる」by のる

平安貴族も参詣した「清水寺」

藤原道長や赤染衛門・藤原実資、また宮中に仕えた紫式部や清少納言など多くの貴族や歌人たちが参詣した「清水寺」を訪れました。

                                              BGM : 甘茶の音楽工房より「弥生の空に」

在原業平の隠棲地「十輪寺(業平寺)」

伊勢物語の主人公のモデル・在原業平が晩年に隠棲した「十輪寺」の「なりひら桜」を見てきました。ここには、業平が塩焼きの風流を楽しんだとされる「塩竈の跡」や、業平のお墓とされる小じんまりとした「宝篋印塔」もあり、在原業平を偲ぶことが出来ました。

                                        BGM : 甘茶の音楽工房より「春へ向かう草花へ」

藤原家隆ゆかりの「四天王寺」

蘇我馬子と物部守屋が争った際に、蘇我氏側の聖徳太子が四天王像を彫ったところ戦いに勝利した。そのお礼として聖徳太子が四天王寺を建立したと伝えられています。 歌人・藤原家隆は役人を辞めたのち出家し、この地に夕陽丘という地名の由来ともなった「夕陽庵(せきようあん」という小さな庵を造り、念仏三昧の日々を送った。 四天王寺の極楽門から見れば、西門は極楽浄土への東門にあたり、鳥居越しに沈む夕陽を拝むという信仰は、日想観(じっそうかん)として今日まで続いています。
                             BGM : BGMerより「受け継がれゆく心」     http://bgmer.net

藤原定家も参詣した「北野天満宮」

北野天満宮は、菅原道真公をお祀りする天満宮の総本社です。 「北野の天神さん」と言って親しまれ、入試合格や学業の成就、厄除祈願などで多くの人が訪れます。藤原定家も北野天満宮に歌一巻を奉納して、和歌の上達を祈願したという記録が残っているようです。 道真公と言えば、894年に遣唐使の廃止を提案し、その結果、国風文化が生まれるようになりました。道真公は醍醐天皇の時代に右大臣にまでなったが藤原氏から妬まれ、藤原時平の陰謀で太宰府に左遷されました。その時に残した歌が 『東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』有名な「飛梅」の歌です。 それから二年後に太宰府で亡くなります。 ところが道真の死後、京都では天変地異が続き、時平も亡くなり醍醐天皇の皇太子も、その次の皇太子も死亡しました。また、皇居に落雷するなどこの一連の出来事を道真の祟りだとしました。 その怨霊となった道真の恨みを鎮めるために北野天満宮を建立して祀ることになりました。

           BGM:BGMerより「受け継がれゆく心」          http://bgmer.net

歌枕を訪ねて(25)「初瀬(長谷寺)」

小倉百人一首第三十五番歌・紀貫之と、第七十四番歌・源俊頼朝臣が詠んだ「初瀬(長谷寺)」を訪ねました。 「貫之の古里の梅」が咲いていることを期待して行ったのですが、残念なことにまだ蕾が少し膨らんだ程度でした。でも、新緑前の木々の隙間から、普段は見えない景色を見ることが出来たのが、多少の救いでした。

BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより         
                               元NHKアナウンサー加賀美幸子さん
           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/

光源氏のモデル・源融を祀る「融神社」

滋賀県大津市伊香立にある「融神社」を訪れました。 かつて、この地は源融の荘園があったところで、この地に閑居したことに因んでここに祠を建て、祀ったのが創建の元とされています。 交通の便があまり良くないため、訪れる人も少なくひっそりとした佇まいで、河原左大臣の頃の暮らしぶりや、光源氏のイメージからすれば意外な印象でしたが、なかなか趣のある神社でした。
​                                                                                                                           
BGM : VSQ MUSIC 0042

陰陽師「安倍晴明」の生涯

安倍晴明生誕の地とされる「安倍晴明神社」や、伝説上、晴明の母親とされる「葛の葉姫」の里であるところの「信太の森神社」(葛葉稲荷神社)そして、修行の場であったとされる「安倍文殊院」、さらに、一条天皇が晴明公の御霊を鎮めるために晴明公の屋敷跡に設けた「晴明神社」などを訪れて、安倍晴明の生涯を辿ってみました。
                              
BGM : BOOTHより「神様の贈り物」byユーキヒロセ          https://youtu.be/GCQbf3D_Bzw

藤原道長と安倍晴明

平安貴族の栄華を極めた「藤原道長」のゆかりの地を巡ったのち、道長が最も信頼を寄せた陰陽師「安倍晴明」の晴明神社(京都)を訪れました。
 
BGM : BOOTHより「あやかしの神楽舞」byユーキヒロセ   https://youtu.be/exFPH7w4aDI 

光源氏のモデル「源融ゆかりの地」

嵯峨天皇の皇子・「源融」は、その生い立ちや境遇から、源氏物語の主人公・光源氏のモデルとされている内の一人です。その源融の山荘跡に建立された「清涼寺」や邸宅であった河原院跡の「渉成園 」そして、別荘であった「平等院」や七堂伽藍を建立した大阪の「太融寺」を訪れてみました。
​                         
BGM : VSQ_MUSIC_SKETCHより

紫式部の生涯

中流貴族である藤原為時の娘として生まれ、為時が花山天皇に漢学を教えた漢詩人であったことから、幼少の頃より漢文を読みこなす才女であった。 彼女が執筆した『源氏物語』の評判を聞いた藤原道長に召し出され、道長の娘で一条天皇中宮の彰子に仕え、その間に世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を書き上げました。 そのような紫式部が過ごした邸宅趾や、娘時代の約2年を父と暮らした越前市、また京に戻り源氏物語の構想を練った石山寺、氏神と崇めた大原野神社、そして晩年過ごしたとされる雲林院などの映像とともに紫式部の生涯を追ってみました。      
BGM : VSQ MUSIC 0021

小倉百人一首 歌枕を訪ねて

小倉百人一首第十七番歌・在原業平朝臣が詠んだ歌の「竜田川」と、第六十九番歌・能因法師の「三室山」を訪ねました。 この二つの歌枕は同じ所に位置し、三室山のふもとを流れる竜田川は、古くから紅葉の名所として多くの和歌に登場します。また、三室山は桜の名所としても知られ、特に満開の桜に覆われた姿は見事のようです。 ただ、三室山の落ち葉が竜田川の川面を、帯のように覆い尽くすことはないようです。在原業平朝臣は、屏風絵に描かれた紅葉の流れる竜田川を想像して詠んだのと同じように、能因法師もイメージを膨らまして詠んだと思われます。
 
BGM :甘茶の音楽工房より「秋色の丘」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより         
 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん    https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第三十二番歌・春道列樹が詠んだ歌の「志賀越え」と、第九十五番歌・前大僧正慈円の「比叡山」を訪ねました。 志賀越道(しがごえみち)は、京都の荒神口から、近江に至る街道で、平安時代は京都から大津へ抜ける道は、逢坂の関を越えて大津へ至る道と、この志賀峠を 越えて滋賀里へ至る道があった。そしてこの街道の北白川入り口には、鎌倉時代に作られた石像で、太閤秀吉がたいそう気に入り聚楽第に移すと、夜な夜な「白川へ返せと」と泣き続けるので、早速もとに在った北白川の地に戻されることになったという逸話のある「子安観音」が残っている。また、途中には山中越の旧道に面し、道行く人々の安全を祈って造られた阿弥陀如来の大きな石仏なども在り、訪れる人は多くないが当時の面影を残した風景が所々に在りました。 そして、同時に訪れた比叡山では「文殊楼」の側に前大僧正慈円が修行中に詠んだ歌の石碑が在りました。
BGM :甘茶の音楽工房より「秋色の丘」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより         
 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん    https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第九十番歌・殷富門院大輔が詠んだ歌の「松島」と、第四十二番歌・清原元輔の「末の松山」そして、第九十二番歌・二条院讃岐の「沖の石」を訪ねました。 日本三景の一つ松島にある雄島。かつては「奥州の高野」と称される死者供養の霊場であったそうです。独特の雰囲気があり、小さな島ながら見どころは沢山ありました。また、雄島からそう遠くはない多賀城市の「末の松山」と「沖の石(沖の井)」は、住宅地の中という意外な所にありました。「沖の石」は、松尾芭蕉が訪れて「奥の細道」に記載したことから、陸奥国の歌枕として有名になったようです。
BGM :甘茶の音楽工房より「秋色の丘」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより         
 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん    https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第十四番歌・河原左大臣(源融)が詠んだ歌の「陸奥国信夫郡」を訪ねました。 かつて、しのぶ草の葉形などを摺りこんだ模様の「しのぶもちずり絹」の産地で、都からの按察使・源融(みなもとのとおる)と長者の娘・虎女との運命の出会の地、文知摺観音(晋門院)を訪れました。
小倉百人一首第十三番歌・陽成院が詠んだ歌の「筑波山」を訪ねました。 筑波山神社から、巨岩・奇岩が多く見所のある白雲橋コースで登り、女体山から男体山を巡って「みなの川」の水源を見てきました。 男女川の水源の水が次第に量を増してゆく様を、恋が深まっていく心情に喩えて歌った陽成院の気持ちに触れたような気がします。
BGM :甘茶の音楽工房より「悠久の時へ」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん          https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第93番歌・鎌倉右大臣(源実朝)が詠んだ歌枕「鎌倉」を訪ねました。 鶴岡八幡宮や白旗神社、由比ヶ浜など実朝ゆかりの地を歩いてきました。
小倉百人一首第100番歌・順徳院の詠んだ歌枕「佐渡」を訪ねました。 順徳院は後鳥羽天皇の第3皇子で、土御門天皇の譲位の後、満13歳で即位。父の後鳥羽上皇からは大きな期待と愛情が寄せられていました。和漢の学問の才もあり、定家に歌を学びました。 承久の乱で、父の後鳥羽院と共に立つも敗れ、佐渡に流されました。 45歳の時に、絶食したうえ、焼いた石を頭に乗せて自ら命を絶ったと言われています。
小倉百人一首第58番歌・大弐三位が詠んだ歌枕「有馬山・猪名」を訪ねました。 猪名と呼ばれた場所での笹原は、現在では残っておらず、伊丹市役所近くの「猪名の笹原モデル園」で再現されて面影を残しているのと、東リ株式会社本社入り口に笹が残されていました。 また有馬山は江戸時代に深江浜などで捕れた魚を、有馬温泉まで運ぶのに利用された「魚屋道」を歩きその当時を偲びました。 有馬温泉から少し東に位置する「宝塚歌劇団」の初期の頃は、団員の名前は百人一首から取られた名前が多かったそうで、「有馬稲子」や「淡島千景」他たくさんあるようです。
小倉百人一首第10番歌・蝉丸と、第62番歌・清少納言の「逢坂の関」 そして第25番歌・三条右大臣の「逢坂山」を訪ねました。 また、その近くのカルタの聖地「近江神宮」を訪ねました。
BGM :甘茶の音楽工房より「悠久の時へ」
百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん          https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第2番歌・持統天皇の「天香山」を訪ねました。 この地域は歴史上明日香村との関連も深いので、飛鳥巡りもしました。

 
小倉百人一首第78番歌・源兼昌の「須磨」と 第97番歌・権中納言定家の歌枕「松帆の浦」を訪ねました。 歌枕に付随して源平合戦の地や日本神話の地も訪れ、最後に淡路島の「浦海浜公園」で癒される風景も収めてきました。
BGM : 甘茶の音楽工房よりJapanese Autumnをお借りしました。
百人一首読み上げ: NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第34番歌、藤原興風の歌枕・高砂を訪ねました。
長寿を象徴する松として有名な兵庫県高砂市の「高砂神社」と「曽根天満宮」それと加古川市にある「尾上神社」を訪れました。
BGM : 甘茶の音楽工房よりJapanese Autumnをお借りしました。
百人一首読み上げ: NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首第61番歌、伊勢大輔の歌枕・平城京を訪ねました。
西暦710年、元明天皇がそれまでの都だった藤原京から遷都し、唐の長安をモデルとして新しい都をつくりました。 その奈良の興福寺の僧から京の都に送られてきたナラノヤエザクラを受け取る役目であった伊勢大輔が、その時に即興で掛詞を巧みに使い、詠んだことで絶賛されたそうです。
普通の桜よりひと月ほど遅咲きのナラノヤエザクラを求めて訪ねてきました。
小倉百人一首の歌枕・参議雅経と坂上是則の「吉野」および前大僧正行尊の「大峯山」を訪ねました。

情景写真から「決まり字を覚えよう!」

かるた取りの必勝法であるところの「決まり字」を記憶するための動画です。 何度も繰り返し視ることで、視覚的に取り札を記憶することが出来るようになります。 初めに歌意を理解したうえ、上の句の解釈と絵札(情景写真)のイメージを関連付けます。次に取り札(下の句)の意味と情景写真を結びつけて記憶します。すると、上の句の読み上げを聞くと同時に情景写真が頭に浮かび、そこから取り札の句が浮かぶようになります。 頑張って挑戦してみてください。
読み上げは「左大臣どっとこむ」よりお借りしました。

小倉百人一首 歌枕を訪ねて

小倉百人一首の歌枕・安部仲麻呂の「三笠山」を訪ねました。 三笠山は現在若草山ともいい、山が3つ重なって見えるため三笠山と呼ばれています。 安部仲麻呂の歌にある「三笠山」は、南隣にある春日山のことで、春日山は御蓋山と書いて「みかさやま」といい、その麓には藤原氏の氏神が祀ってある春日大社があります。
BGM : 甘茶の音楽工房よりJapanese Autumnをお借りしました。
百人一首読み上げ: NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首の歌枕・中納言兼輔(藤原兼輔)の「みかの原」を訪ねました。
聖武天皇の時代にしばらく都であった恭仁京です。都であったのは5年ほどとされており、その後、信楽宮に移ったのち難波宮に遷都されており、大極殿跡に山城国分寺として七重塔などが建てられ、寺院として栄えたようです。現在では恭仁京であったことを示す石碑が建てられており、礎石だけが点在していました。   ※字幕設定をONにしてご覧ください
BGM : 甘茶の音楽工房よりJapanese Autumnをお借りしました。
百人一首読み上げ: NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首の歌枕・伊勢の「難波潟」元良親王の「難波」皇嘉門院別当の「難波江」を訪ねました。 百人一首で3回以上同じ土地が詠われる例はなく、当時の風景とは地形的にも随分と違うのでイメージするのが難しいと思いますが、この動画でなんとなく想像できるかと思います。
BGM:フリーBGM  DOVA-SYNDROMEの「茶屋にて」by MATSUをお借りしました。
百人一首読み上げ: NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首の歌枕・小式部内侍の「大江山・生野・天橋立」を訪ねました。 この歌は三十一文字の中に三つの歌枕を入れて詠み、嫌味を言った藤原定頼(第六十四番歌の作者)に返した歌で、代作疑惑を見事に晴らしました。「おおえやま」の位置は諸説あり、歌に出てくる順番からすれば都に近い「大枝山」の方だと思われます。
小倉百人一首の歌枕・菅家の「手向山」を訪ねました。 東大寺大仏殿の東に位置し、紅葉の名所として知られる手向山に鎮座する手向山八幡宮は、大分県の宇佐八幡宮から東大寺の守護神として迎えられ創建されました。
菅原道真が宇多上皇のお供でこの手向山八幡宮に参拝し、腰を掛けたとされる菅公腰掛石があり、建物は老朽化しつつも趣があり、神社周辺には東大寺二月堂・三月堂・四月堂と見どころが満載です。
小倉百人一首の歌枕・藤原敏行朝臣の「住之江」を訪ねました。 大阪市住吉区を中心とする一帯で、当時は白砂青松の景勝地であり、住吉の津などとも呼ばれた。 住吉大社のシンボルになっている太鼓橋は、川端康成の小説反橋で「登るより降りる方が難しい」と書かれております。 源氏物語の澪標に描かれた明石の上の恋物語もこの地が舞台になっています。
小倉百人一首の歌枕・権中納言定頼の「宇治」と喜撰法師の「喜撰山」を訪ねました。 京都屈指の観光地である宇治で、川霧が出るのを期待して早朝に行きましたが、まったく期待外れでした。 宇治市史によると「うじ」とは「うち」を意味するとあり、東西南北とも山に囲まれ、西は巨椋池に塞がれていて、これらの「内」にあることから「うじ」と呼ぶようになったとあります。 世間から離れて山でひっそりと暮らした喜撰法師の名は宇治茶の銘柄にもなり「上喜撰」と言ったりするそうで、幕末の狂歌に「上喜撰」と黒船の「蒸気船」をかけて [ 泰平の眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も寝られず ] と詠われております。
BGM:フリーBGM  DOVA-SYNDROMEの「茶屋にて」by MATSUをお借りしました。
百人一首読み上げ: NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん           https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
小倉百人一首の歌枕・曾禰好忠の「由良の戸」を訪ねました。 京都府北部、宮津市の由良川河口です。 「由良の戸」の場所には二つの説があり、一つはこの宮津市の由良川河口で、曾禰好忠が丹後掾(たんごのじょう)という地方官吏であったことから、こちらが定説のようです。もうひとつは和歌山県日高郡にある由良の御崎で、新古今集の時代で有名な歌枕です。
小倉百人一首の歌枕・藤原基俊の「興福寺」を訪ねました。 今年(2022年)秋に120年ぶりの大規模修理に入り、しばらく外観を見ることができません。 工事着工前の特別拝観で通常は見られない内部を見てきましたが、残念ながら撮影は禁止のため動画に上げることは叶いませんでした。 しかし、あまり知られていない奈良県庁屋上に展望台があることを知りましたので、行かれたことのない方は必見です。
小倉百人一首の歌枕・祐子内親王家紀伊の「高師浜」を訪ねました。 白砂青松といった砂浜をイメージしますが、高石神社の境内に僅かに当時の面影が残る程度でした。

小倉百人一首 歌碑めぐり

小倉百人一首の聖地、京都嵐山・嵯峨野地区には、百人一首を一首ずつ刻んだ歌碑が点在しております。 琴の音をバックに歌の詠みあげを聴きながら、百首を巡ってみましょう。
詠みあげ : 左大臣どっとこむ      
https://ogura100.roudokus.com/DL/からお借りしました。
音楽 :自作:
 

​百人一首を覚えるための動画

情景写真から歌の意味をイメージし、読み上げを繰り返し聞くことで記憶できます。
歌と情景写真を結びつけて覚えよう。文字や言葉から認識する左脳と、知覚や感性で認識する右脳が働いて記憶が確かなものになるようです。
情景写真が表示されると同時に、朗読より先に上の句が出るようになるまで繰り返しましょう。
(訂正: 二十六首 貞信公の歌の文字札が、五十六首 和泉式部の歌の文字札と逆でした)
「上の句」のあと、情景写真の中に「下の句」が隠れていると思って、それを探し出すつもりで・・・
41番からの歌も恋の歌が続き、情景写真との結びつけが難しくなりますが、繰り返し観ることで接点が見えてきます。
下の句まで出るようになったら、作者も覚えよう。
(訂正: 五十六首 和泉式部の歌の文字札が、二十六首 貞信公の歌の文字札と逆でした)
情景写真と歌のイメージが一致するまで繰り返し聴きましょう。
下の句まで覚えたら、取り札(字札)も視覚的に記憶しよう。
残すところあと二十首です。情景写真と歌との関連付けは、
Blog PC版「秀歌百景」
  https://f-teika-jp.blogspot.com   
Mobile版「秀歌百景」
  https://k-isamu.blogspot.comで
2021年12月までの投稿をご覧いただければ、理解しやすいと思います。
いよいよ最後の十首です。 上の句と下の句が暗記できたら、情景写真のスライドショー「貴族たちの見た景色」https://www.youtube.com/watch?v=Zfz4p_MMJoI で視覚からの記憶ができているか確認しよう!
朗読:
 NHKクリエイティブ・ライブラリーより  
 元NHKアナウンサー  加賀美幸子さんによる朗読            
 https://www.nhk.or.jp/archives/creative/
背景:   フリーイラスト「GAHAG」使用
写真展「秀歌百景」に出展した写真を「貴族たちの見た景色」としてスライドショーにしました。
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